霧ヶ峰の湿原について

 「霧ヶ峰の植生」 発行 諏訪市教育委員会 1981年9月発行より抜粋

八島ヶ原湿原(1630m)
  八島
ヶ原湿原は、周囲を湿原よりも10〜200m高い尾根に囲まれた凹地に発達した湿原です。初期はヤマドリゼンマイなどの湿原植物の生育に適した二つの湿原が、それぞれ泥炭を堆積し、発達しながら接合した。接合部は鬼ヶ泉水から南にのびる谷である。東側のドームの泥炭は7.9m、西側は8.1mに達し、約1万2000年かけて形成された。鎌ヶ池から湿原中央にかけては小山のようにもりあがり、ここには低層湿原植物群落から高層湿原植物群落までの各種の群落がみられる。
  八島湿原の典型的なドーム、その上に発達する見事なチャミズゴケの小隆起は、現在では世界的にも代表的な著例である。
  二つのドーム上には湿原の高層化を促すイボミズゴケ、ムラサキミズゴケ、チャミズゴケが優占し、ヌマガヤ、トマリスゲ、ツルコケモモ、ヒメシャクナゲ等を伴って斑状に点在する小隆起地形を形成している。
  小隆起と小隆起の間には小凹地があり、クロイヌノヒゲモドキ、イトミズゴケがわずかな地形の変化に応じて、ミカヅキグサ、ヤチスギランを伴う様々な群落を形成している。ドーム上底部は小隆起植物群落と小凹地植物群落とがモザイク状に広がり、休止複合体を形成している。
  鎌ヶ池および八島ヶ池の水面よりドームの上までは5m前後の盛り上がりとなっており、その斜面にはチャミズゴケ、イボミズゴケの小隆起が一面にみられ、斜面上部のやや乾燥に傾いている立地ではチャミズゴケの優占する群落が多くなり、再生複合体末期の状態を示している。
  一方、斜面下部ではイボミズゴケの優占する群落が発達し、さかんに泥炭を堆積し、再生複合体初期の状況を示している。
  八島湿原の大部分は高層湿原の小隆起植生で、ドーム上には高層湿原小凹地植生もみられる。東ドームでは各所にハナゴケのコロニーが見られ、小隆起−小凹地系が広がっている。小隆起の高さは20〜30cm程度でノリウツギ、ヒメシャクナゲ、ツルコケモモ、ミツバオウレン、チャミズゴケ、ムラサキミズゴケ、イボミズゴケ等が生育し、小凹地にはミカヅキグサ、コバギボウシ、イワショウブ、ヤチスギラン、イトミズゴケ等が生育する。
  西ドームでは幅50cm内外、長さ数mの細長い亀裂が各所に見られる。亀裂の部分は黒泥状の裸地となり、わずかにホシクサ類が生育し、所々で深く水を湛えている。また、西の小池の北方には小規模なドームがあり、一面にミズゴケ類、ヒメシャクナゲ、ツルコケモモ等が生育する。
  泥炭が厚く発達した湿原は、ヌマガヤ−チャミズゴケ群落でヒメシャクナゲ、ツルコケモモ、ヌマガヤが生育。鬼ヶ泉水、鎌ヶ池周辺は、ヌマガヤ−イボミズゴケ群落でワタスゲ、ホロムイスゲが多い。また、イヌウメモドキ、サワラ、ノリウツギ、ハイイヌツゲを混生する小低木群落。ヤマドリゼンマイ優先群落。水路には、低層湿原生のホソバオゼヌマスゲ、アブラガヤ、ヨシを伴う群落が帯状にみられる。

八島ヶ池 オヒルムシロ、コタヌキモ、カワモズク等が繁茂する。東岸はヌマガヤ群落、西岸はヨシ群落となっている。

鎌ヶ池 南部周辺はゴウソ、ホソバオゼヌマスゲ、トマリスゲ、ヌマガヤ、アオモリミズゴケ等が群落を形成。西岸の植生は豊かでサンカクイ、ホタルイの群落からイボミズゴケ、ヌマガヤ等の生育する東ドームへと続く。

鬼ヶ泉水 オヒルムシロ、コタヌキモ、カワモズクが育成。池の周囲はトマリスゲ、ミズゴケ類等の群落で囲まれている。

南西部の地塘 地塘内はミズゴケ類、コタヌキモが生育する。周囲の植生は極めて豊富でスゲ、ヌマガヤ、ナガボノアカワレモコウ、レンゲツツジ。北に向かってツルコケモモ、ヒメシャクナゲ、イボミズゴケ、ムラサキミズゴケ等からなる群落となる。 

踊場湿原(約1531m)
  周囲を10〜400mの尾根に囲まれた凹地に東西に細長い湿原で、断層によってつくられた盆地に発達した。湿原の西方から浸出する流れは、東隅で車山の南斜面からの流水と合流してアシクラ池を形成し、ここから南東方に流出する。
  湿原植物群落は池の西側上流域に発達し、泥炭層の最深部分は2.3m、火山灰土の層から約4000年の歴史をもつと推定される。また、泥炭層はほとんどがスゲ泥炭からなり、池を起源とした低層湿原である。
  踊場湿原は水面からの盛り上がりはあまり認められず、高層化を促進するミズゴケ類の生育地は池水面から高さ1m未満の立地である。最も高層化が進んだ地域はアシクラ池より約100m西よりの上流地点で、ここにはチャミズゴケがヌマガヤ、ツルコケモモ、ヒメツルコケモモ、ヒメシャクナゲ等を伴って、30〜40cmの高さの小隆起を形成している。小隆起の間の深い小凹地には泥炭が露出していないうえに、幅が狭いためミカヅキグサ、ヤチスギランを伴う小凹地植生がみられない。チャミズゴケを主体とする群落から西側上流にかけてはトマリスゲ、ヌマガヤを伴ったイボミズゴケの優占の群落がみられる。
  湿原の周辺部には低層湿原生のホソバオゼヌマスゲ、アブラガヤ、イワノガリヤスの優占する群落が帯状に高位部をとりまいている。これらの群落中には霧ヶ峰では踊場湿原にのみみられるクシノハミズゴケが生育しており、やや乾燥に傾いた立地にはヌマクロボスゲ優占の群落、地表水がみられ無機土壌の堆積の盛んな立地ではオニナルコスゲ優占の群落がみられる。アシクラ池の南側にはヨシ群落が発達し、ヌマハイリなどが優占する群落もみられる。

車山湿原(1770m)
  車山と蝶々深山に挟まれ、西側に傾く暖斜面に発達した谷湿原である。湿原は両側からの湧出水によって涵養され、小川に囲まれた低地に発達して、湿原植物群落と草原植物群落とが入り組んで成立している。泥炭層の発達は厚い部分で1.5m。湿原中には岩石を基盤としたところや砂礫上などにもミズゴケ類の繁茂がみられることから、泥炭層は今後も発達するものと考えられる。高層湿原化の進んでいる立地は湧出水が合流する部分で、ここではチャミズゴケがヌマガヤ、ツルコケモモ、ヒメシャクナゲを伴って20〜30cmの小隆起を形成している。狭い範囲ではあるがイボミズゴケの優占する群落も見られる。
  湿原の大部分はヌマガヤを伴う中間湿原である。湿原中には小池がみられ、ミツガシワの優占する群落が残存している。小川の中にはネジレミズゴケの純群落もみられる。
  上記の他に、雪不知の沢上流には車山湿原よりさらに若い湿原が狭い範囲にみられ、またゲイロッ原にもミズゴケを伴う小湿原が存在していた。

花粉分析からみた植生遷移(八島湿原)
  八島湿原の泥炭層は1万2000年をかけて形成され、泥炭の堆積速度は深さ8.5〜4.2mでは0.45mm/年、4.2〜0mでは1.39mm/年。平均は0.744mm/年。

    現在〜 700年前   750年間 アカマツ期
    700〜 2000年前   1250年間 ミズナラ期
   2000〜 3000年前   1000年間 トウヒ期
   3000〜 7500年前   4500年間 ミズナラ期 火山灰
   7500〜 9000年前   1500年間 トウヒ期
   9000〜 10200年前   1200年間 ミズナラ期
   10200〜 12200年前   2000年間 トウヒ期
     ※トウヒ=常緑針葉樹、亜高山帯  ミズナラ=落葉広葉樹、温帯

  高層湿原植生はドーム状の高位泥炭上に発達し、ドームの上には小隆起が形成される。この地形が群落の発達により過度に隆起したり、気候変動により水分収支が破れると、乾燥化がおきる。乾燥化した立地にはハナゴケ類が侵入し、ハナゴケ類の群落が形成され、湿原の高層化は一時停止する。
  ハナゴケ類の群落が成立すると、ミズゴケ泥炭は分解され、緻密な泥炭となり、ハナゴケ類で形成された群落は徐々に陥没する。これと平行して小隆起周辺部に形成される小凹地は、水分条件が多湿から適湿になるため、ミズゴケ類の生育が盛んになり、ミズゴケ泥炭の堆積が増加する。このような状態になると、ハナゴケ類の群落は多湿になり消滅する。
  ハナゴケ類の群落が消滅した後、泥炭が流出しやすくなった立地にはクロイヌノヒゲモドキ群集が発達し、流出の見られない立地にはイトミズゴケ群集が発達する。これらの群落はヌマガヤ−イボミズゴケ群集に移行し、さらにヌマガヤ−チャミズゴケ群集まで遷移する。
  一方、ホロムイスゲ−ヌマガヤ群集より移行したと考えられるヌマガヤ−ワルンストンミズゴケ群落や小池植生のミツガシワ群落、および凹地に発達するアオモリミズゴケ群落等は、ミズゴケ類がよく繁茂してミズゴケ泥炭を形成するために、ヌマガヤ−イボミズゴケ群集に遷移することが推定される。
  八島湿原は全体が高層化し、ミズゴケ湿原の隆起が続いているため、以上のようなサイクルが長年月の間繰り返されて、現在に到ったものと考えられる。
  中間湿原植生は低層湿原から高層湿原への移行段階で形成される湿原植生である。八島湿原ではわずかな期間成立し、踊場湿原では長期間成立していたと推定される。高層化の進んだ八島湿原においては、中間湿原から高層湿原への発達段階はごく一部にしか見られない。
  3つの池は気候的な変化、または水質の変化がない限り、池として存在し続け、浮葉植物群落や挺水植物群落は持続群落として存続するものと思われる。