2017/ 8/30 更新

     2002.1.30 掲載開始

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  「かんちく」90号のカンパの送り先で郵便口座の数字の末尾が抜けていました。

正しくは 00530−0−38798 松田さんを支える会 です。



  2016年4月27日 「松田さんの退職を祝う会」を行いました


  4月27日に高知で松田さんの退職を祝う会を行いました。
  松田さんは就労支援事業所「ウィール社」で働いてきましたが、3月末で退職。 同時に併設の寮「こくふ」を退寮し、4月1日に老人ホーム「野いちご南国」に入所しました。

  支える会では、「定年退職」まで勤め、新しい環境に入った松田さんを激励し、今後もみんなで支援していく気持ちで「退職を祝う会」を高知で行いました。
  「会」には松田さん、高知在住で松田さんの保証人である中島さん(K経)、愛媛在住の岩崎さん(K社)、東京からは井上(牛込)さん(K文・教育)、 笠原さん(K文・日文)、加藤さん(K社)、山口さん(K社)、小峰(K経)が参加しました。

  松田さんは得意の話術(駄洒落)も連発し、昨年の45周年の集いの時よりも元気そうでした。 来月からは週2日、外部のリハビリ施設に朝から夕方まで通うことになり、筋力アップに励むそうです。

  引っ越しに伴う手続きや作業には、中島さん、岩崎さんに大変お世話になりました。 今回はみんなで衣類を中心に身の回りの整理をし、「かんちくの郷」(松田さんの実家)にも行ってきました。 そのさい、松田さんは駐車場から家まで車椅子を使わず、助けを借りながらも歩いて入りました。

  インターネット環境も岩崎さんの協力で整いましたので、松田さんにはメールで生活状況を知らせてもらえるよう、パソコンに慣れてもらうようお願いしました。

  松田さんのメールアドレスが変わりました。
  新しいアドレスは  matsuda@j-all.com  です。

  まだ慣れていないので即返事とは行かないと思いますが、よろしくお願いします。
(小峰)  



2015年6月20日(土) 「松田さんを支える会・45周年の集い」

  高知南国市から中島さん(高知)、岩崎さん(愛媛) 両人のサポートを受け、松田さんも上京。60名の参加で親しく懇談しました。
  松田さんは思ったよりも元気で、二次会にも最後まで参加しました。
  翌日、無事に帰宅しました。




【訃報】
安藤三四郎さん(K社・1966年入学)が2015年1月15日に亡くなりました。



  『訪高団 新米二人の感想記』 (2014年3月27日〜29日)
笠原正子

  出発日の朝は小雨だったが、高知は春の陽光が煌めいていて、まるで初夏のように暑かった。田んぼには水が張られ、田植えの準備もされていた。
  松田さんからのメールによると、私たち女性は 「大々歓迎」、男性の山田さんは 「ついでに歓迎」 なので、大いに気を良くして空港からレンタカーに乗り、 松田さんのいるリハビリ施設に。
  松田さんは、施設の若い男女の職員に囲まれ、週2回通うトレーニングで少しずつ筋力が鍛えられていると、実感しているようでした。
  夜はホテルのすぐ近くの 「ひろめ市場」 で懇親会。ここでの 「鯖姿寿司」 の頭の骨の完食話は、山田さんの報告の通り。 残ったのは目玉の真ん中の芯の部分の1個のみ(もう1個はどこに?)で、これは何か、松田さんの決意表明なのでしょうか。 食後は、機嫌良く(だと思う)タクシーで宿舎に帰って行きました。

  翌日、午前中は 「ウイール社」 社長の長尾さんと面談。声音は穏やかながら、話の内容はつらいものでした。 「要支援2」 と「要介護1」 の中間にいる松田さんは、体力の現状維持の努力が一層求められています。 ここの仕事に 「生きがい」 を持っている松田さんは、あと3年はここにいたいとの希望でした。頑張って欲しいものです。
  その後は、観光をしながら実家も見学。
  松田さんは歴史、特に故郷・土佐の話が始まると止まらない。最後は、モゴモゴと聞き取れないながら、周りには 「話を聞け!」 と一喝する。 私たちは、一生懸命耳を傾けましたよ。
  夜は前日と同じ 「ひろめ市場」 へ。今夜は地元の中島さんも参加。おかげで、高知の 「これが名物」 と誰もが喜ぶメニューが並んで、みんな大満足。 愉快な中島さんのおかげで、会は一層盛り上がりました。

  3日目の午前中は、松田さんの宿舎に集合。私たち女性は、シーツや枕カバーの取り換え(主に井上さん)。 簡単な作業ながら、これがはかどらない。なぜなら、松田さんは朝の薬を飲み終わるまでベッドからどかないのです。 この薬の種類が半端じゃない。まず、周りに散らかっている薬から探し出す。これがしゃべりながらなので集中しない。 多種類の薬を長年飲んでいるので、松田さんの爪は全部真っ白。どうにか、ベッドからどいてくれたので、井上さんはテキパキと作業をし始め、 私たち二人は、何をしていいかわからないながら補助の気持ちで参加。 掛布団やその下の衣類、紙類、薬などを整理しながら、ようやくシーツにたどり着くのでした。
  その後は、雨の中、観光しながら昼食。午後2時までに宿舎に帰りたいという松田さんを載せて中島さんの車が先に帰り、 私たちはお土産を買いながら空港へ。私は空港で超特大の 「鯖姿寿司」 をお土産に買い、家に帰って、ためしに頭にかぶりついてみたが、 とても固くて歯が立たなかった。松田さんが食べたのはこれよりはるかに小ぶりだったが、やはり固かったのでは(?)と感心しきり。

  今回の旅は、山田さんと井上さんの奮闘と粘り強さで成立し、地元の中島さんの参加で、より楽しいものになりました。お三方には感謝です。
  最後に、長野・塩尻から参加の小野さんの感想を付け加えておきます。
  『おいしく、楽しい旅をさせて頂きました。松田さんには是非 「要支援2」 から先へ進まないよう、何とか頑張って欲しいと思います。』


≪高知訪問の報告≫(旅程=2014年3月27日〜29日)
報告=山田幹夫 PDFです。


2012年11月27日(火)から29日(木)まで 高知・松田氏訪問
(報告=山田幹夫)

●今回の目的
  今回の課題の第一は、10月の訪高団の際には措置できなかった 「かんちくの里」 の今後へ向けて、 県内に理事を増員するため 「里」 を利用している方々と直接お会いして、松田氏から所有権を譲り受け法人として管理している経過などを伝え、 理事候補となる人を具体的に相談することであった。
  もう一つは、松田氏から電話でじっくり相談したいことがあるため、できるだけ早く来て欲しいとの要望があり、それを受けて話を聞くことであった。

●初日、「里」 で地元の 「キーパーソンと」 出会う
  27日、空港からレンタカーで、とりあえず「里」の現状を見るため向かう。運良く利用している地元の後援会の会合が予定されており、 カギを開けるために先着していた島本理夫(ただお)氏に会えた。その後に訪ねた共産党県委員会の千頭氏によると 「一番良い人に会えた」 ことになった。
  島本氏は87歳。松田氏のこともよく知っており、学友が支援を続けていることにお礼を言われた。 この時はキーパーソンとは知らず、訪問の目的を簡単に伝えて皆さんで相談した結果を知らせてもらうことを約して松田氏の待つ国府寮へ。
  松田氏とは、ベランダに出してある廃棄するタンスの処理をあらためて要請され、翌日一日を付き合うために迎えに来る時間を確認して、 高知市内の千頭氏の事務所に向かう。

●県委員会で千頭(ちかみ)氏と会う
  松田氏と高知高専時代の同期である千頭氏とは電話で何度も話しているため旧知のごとく迎えてもらい、 質問にも答えながら支える会の活動などをあらためて紹介した。生協病院に入院している宅宮氏が面会可能かを確認してくれた。

●夜、管理委託の渡辺氏と食事しながら打ち合わせ
  夜、「里」 管理人の渡辺氏と高知市内で落ち合い、食事しながらあれこれ話をする。 松田氏のタンスの処分は近日中に二人がかりでやってもらうことも確認した。松田氏との連絡がなかなかうまくいかない理由は、 双方と話して松田氏が携帯電話を十分に使えないことが原因であることも判明した。 明日、私がマンツーマンでコーチすることにした。渡辺氏とは、今後も連絡を密にして管理などをお願いすること、 経費が発生した場合は遠慮なく請求してもらうことも確認した。

●二日目は松田氏と重光さんを訪ねる。
            松田氏から車中や食事しながら悩みなど聞く

  28日、松田氏を迎えにいく。出かけるための準備は、一部始終を見させてもらったが大変に時間がかかる。 人工肛門のため洗浄用の器具2セットを用意することが一番の手間で、本人が言うように動作が思うに任せないため時間がかかる。 この日もそれだけで30分近く。
  「事件」 時に献血をしてくれて帰郷してからも福祉の面で世話になった重光さんを訪ねる。 生協病院は定年となり県の社会福祉協議会で働いていて、昼休みに時間をとってもらう。 南海地震の備えなど高知でもあれこれ動きがあり、避難など身障者対応はこれからとか。「理事」 への要請をし、いろいろと話し込む。 感触は良であった。資料を渡して後日に連絡をすることにした。

●松田氏の悩みは、身近に相談相手がいないことか
  松田氏の相談事は、彼の部屋と車中、遅い昼食をとりながらと、かなりの時間をかけたが、最大の要因は、 日ごろの付き合いの中では腹を割って悩みなどを吐露できる者がいないことによるフラストレーションによるものと判断した。 東京での生活から帰郷してからの生活、病状への不安、医者との会話が思いどおりにいかない苛立ち、老化への心配など、いろいろな言葉が続き、 それへの反応を私がすることで何となく安心する、重光さんからも医者にはどんどん質問してもいいのですよと言われたことも相まって、 ずいぶん落ち着いたのではと感じた。
  携帯電話をうまく使えないとも言われていたので、大手スーパー内のホールでアドレスの呼び出し方や着信履歴の見方など、 私の携帯とやりとりしながらコーチした。買い替えも予想してお金を用意していったが、当面は現在の機種で。 ただ、パソコンは古くて遅いため、中のソフトと同じものを入れる準備をして、少し後に更新をするべきと話してきた。

●地元の島本氏と 「里」 で会い、理事選出の要請など話す
  夕方、前夜に電話があった島本氏と 「里」 で落ち合う。松田氏は階段が心配なので車内で待機してもらい理事の件を資料を示しながら説明した。 後援会の皆さんは概ね70代が大半ということがわかり、島本氏と山崎元市議、宅宮氏の三人が中心人物らしい。 今すぐ管理体制が変わるということではなく、数年後を考えて体制を考えていくことにしているという説明を理解してもらい、 理事候補は上記3人で相談してもらえることになった。
  島本氏は6つの集落、百数十人いる地域の防災担当もしており、大震災への備えを考えているそうで、 年寄りばかりで何かあった場合に家の中から救出する人力がいないことが大問題という。 さらに、地域の避難場所がないということも言われたので、「里」 を活用することも大歓迎であることも伝えた。 さらに、「里」 は年間を通じると使わない時のほうが多いそうなので、誰か男性で1部屋を寮のように使ってもらうことも選択肢としてあることを話して、 希望者がいれば知らせてもらうことも要請した。

●三日目、宅宮氏を中島氏と落ち合ってお見舞い
  29日、生協病院へ宅宮氏をお見舞い。高知市の中島氏に前夜に連絡がつき病院で落ち合う。 宅宮氏は顔色もよく、今回の数日の入院は人口肛門の取り付けのためとか。すぐ退院してまた動き出すそうだが、身体が一番と中島氏とともに強くお願いした。 理事の件も説明し、島本氏同様に検討を約束してくれた。
  中島氏と病院の喫茶室と、ひろめ市場に移動して昼食をとりながら話す。 月に1回くらいは渡辺氏とも連絡をとりながら松田氏の顔を見に行ってもらうことを要請し、彼もその必要性をあらためて認識してくれたのではないかと思う。
(以上)



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